※使用されている画像の無断複製を禁じます。
※重ね合わせている御土居跡の帯は推定線です。部分・年によっては実際と異なる場合があります。
※ところどころで、重ね合わせている御土居跡の帯(全年共通)に合わせるため、残存御土居の着色がずれています。
御土居を南からたどると、千本通七条上るのあたりでカギ状に折れ、千本通りを東から西にまたぎます。この鉤曲がりのところに七口の一つ「丹波口」がありました。
丹波口から北は千本通の西側を進み、綾小路通と仏光寺通の真ん中ぐらいで西に折れ、西大路通の少し手前で北に折れます。
この仏光寺上るから北行する部分では、御土居がちょうど中京区と右京区の境界になっています。
現在、この区間で史跡となっているところはありません。
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七条以北はほぼ原型をとどめる形で残っています。
松原通は平安京での五条通に相当しますが、松原通から七条通(山陰街道)の間、東西方向でほぼ等間隔にあぜ道が通っているように描かれています。松原通と七条通の真ん中が六条大路、その上下が、六条坊門小路、七条坊門小路の名残でしょうか。
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御土居の東側に山陰本線が通り、七条坊門小路にあたる場所に丹波口駅ができています。現在、丹波口駅は五条通にありますが、駅ができた当初は、本来の丹波口にほど近い場所にあったことがわかります。 駅の西側には「石油槽」が描かれ、その場所ほかいくつかの場所で御土居がなくなっています。 また、御土居の西側には「京都競馬場」が描かれています。
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市街地が西進し、山陰本線より東側はほぼ全域密集市街地となりました。その影響か、御土居とおぼしき土塁も断片的にしか描かれていません。
明治42年の地形図には描かれていた「京都競馬場」が無くなり、発電所と送電線が描かれています。また、工場が多く見られます。
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七条通から現在の五条通に掛けての山陰本線と新千本通の間に「中央市場」が設置され、ほぼ全域で地図記号「土囲」として描かれるところが無くなっています。
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