地形図で見る変遷

御 土 居

(6)長坂口周辺


注意

※使用されている画像の無断複製を禁じます。
※重ね合わせている御土居跡の帯は推定線です。部分・年によっては実際と異なる場合があります。
※ところどころで、重ね合わせている御土居跡の帯(全年共通)に合わせるため、残存御土居の着色がずれています。


現在:平成17年(2005年)

紙屋川に沿って北上してきた御土居は、東北東に進路を変えます。進路を変えた御土居が鷹峯街道と交差する部分が七口の一つ長坂口です。明治28年に現在の周山街道が開かれるまで、ここから長坂越を通り杉坂口を通る道が周山に至るルートでした。
現在、この部分では3ヶ所が史跡として指定されています。中でも、大宮土居町の部分は現在残存している部分の中でも最も規模が大きく、また堀となっている部分も残っており、「御土居堀」を実感できる部分です。
この地図の鷹峯旧土居町3番地の御土居は土塁を利用した公園となっており、土塁上に登ることができます。 また、大宮交通公園には史跡指定されていませんが、土塁が残されています。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



明治22年(1889年)

ほぼ全域で、「土囲」として残っています。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



明治42年(1909年)

この地図の北東部に当たる部分で、一部消滅していますが、ほぼ全域で「土囲」として残っています。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



大正11年(1922年)

明治42年とほぼ同じ状況で、ほぼ全域で「土囲」として残っています。
図中の御土居上に「+2.0」という表記がありますが、比高2mということでしょうか。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



昭和6年(1931年)

やはり、明治42年とほぼ同じ状況で、ほぼ全域で「土囲」として残っています。なお、これから7年後(昭和13年)に空中写真をもとに作られた陸軍の1万分の1地形図でもほぼ同様に全域で残っています。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



手動操作

以下のボタンを使って、地形図の年、通り名等の表示・非表示、御土居跡の表示・非表示を切り替えることができます。











地図の出典


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