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※重ね合わせている御土居跡の帯は推定線です。部分・年によっては実際と異なる場合があります。
※ところどころで、重ね合わせている御土居跡の帯(全年共通)に合わせるため、残存御土居の着色がずれています。
紙屋川に沿って北上してきた御土居は、東北東に進路を変えます。進路を変えた御土居が鷹峯街道と交差する部分が七口の一つ長坂口です。明治28年に現在の周山街道が開かれるまで、ここから長坂越を通り杉坂口を通る道が周山に至るルートでした。
現在、この部分では3ヶ所が史跡として指定されています。中でも、大宮土居町の部分は現在残存している部分の中でも最も規模が大きく、また堀となっている部分も残っており、「御土居堀」を実感できる部分です。
この地図の鷹峯旧土居町3番地の御土居は土塁を利用した公園となっており、土塁上に登ることができます。
また、大宮交通公園には史跡指定されていませんが、土塁が残されています。
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ほぼ全域で、「土囲」として残っています。
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この地図の北東部に当たる部分で、一部消滅していますが、ほぼ全域で「土囲」として残っています。
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明治42年とほぼ同じ状況で、ほぼ全域で「土囲」として残っています。
図中の御土居上に「+2.0」という表記がありますが、比高2mということでしょうか。
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やはり、明治42年とほぼ同じ状況で、ほぼ全域で「土囲」として残っています。なお、これから7年後(昭和13年)に空中写真をもとに作られた陸軍の1万分の1地形図でもほぼ同様に全域で残っています。
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