地形図で見る変遷

御 土 居

(5)北野天満宮〜仏教大学周辺


注意

※使用されている画像の無断複製を禁じます。
※重ね合わせている御土居跡の帯は推定線です。部分・年によっては実際と異なる場合があります。
※ところどころで、重ね合わせている御土居跡の帯(全年共通)に合わせるため、残存御土居の着色がずれています。


現在:平成17年(2005年)

北野天満宮から北東端までは、紙屋川(現在の天神川)の自然地形を活かし、この紙屋川に沿って続いています。
北野天満宮の北から北大路通りまでには、2ヶ所が史跡として指定されています。南側の平野鳥居前町には整形された御土居と南側に安置された地蔵によってよく御土居を代表する写真として紹介されています。
しかしながら、平野鳥居前町の御土居は史跡として指定されながら北側に住宅が建ってしまっています。また、紫野西土居町においても、史跡として指定されながら御土居が破壊された後に別の場所の御土居の土を盛ったものだそうです。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



明治22年(1889年)

ほぼ全域で「土囲」として確認できます。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



明治42年(1909年)

明治22年同様、ほぼ全域で「土囲」として確認できます。
寺之内通の北に「+6.0」という表記が見えますが、比高6mということでしょうか。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



大正11年(1922年)

東側から市街地が迫ってきていますが、ほぼ全域で「土囲」として確認できます。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



昭和6年(1931年)

千本通から東に折れて市電が走っている道が現在の北大路です。千本北大路から北野白梅町間の市電の敷設が昭和10年から11年に掛けてであり、その北大路が西に進む部分を中心として、「土囲」がなくなっています。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



手動操作

以下のボタンを使って、地形図の年、通り名等の表示・非表示、御土居跡の表示・非表示を切り替えることができます。











地図の出典


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