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※重ね合わせている御土居跡の帯は推定線です。部分・年によっては実際と異なる場合があります。
※ところどころで、重ね合わせている御土居跡の帯(全年共通)に合わせるため、残存御土居の着色がずれています。
四条河原町の西側から河原町通に沿うように南南西に進んできた御土居は、高辻通(松原通の一筋北)のあたりでほぼ南に進路を変え、寺町通沿いに進んで五条通のところで鴨川の西側に接近します。
御土居の後にできた高瀬川もここで鴨川に最接近します。高瀬川の設置当時は、鴨川から水を取り込むことができるしくみになっていたようです。
五条から南は、豊臣秀吉による築造当初と江戸時代では進路が違っていました。これは1648年に渉成園(枳殻邸)を建造するために移築をしたためです。豊臣期の御土居は南西に進み現在の枳殻邸をつらぬいていますが、移築後の御土居は途中から真南に進路を変えています。
なお、高瀬川も御土居の移築に伴い、流路を変えたそうです。
史跡となっている部分はありませんが、枳殻邸の中にある築山は御土居を利用したものと言われています。
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既に御土居を確認することができなくなっています。
左下に見える「内浜」は高瀬川の荷物の上げ下ろし場であったところです。(12)で説明します。
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京都電気鉄道による路面電車が木屋町通などを走っています。また、五条まで京阪電車が走っています。 図の右下には「大佛」の字が見えます。
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京阪電車が三条まで延伸しました。
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河原町通りが拡幅され、市電が通るようになっています。
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