地形図で見る変遷

御 土 居

(10)三条口周辺


注意

※使用されている画像の無断複製・転載を禁じます。
※重ね合わせている御土居跡の帯は推定線です。部分・年によっては実際と異なる場合があります。
※ところどころで、重ね合わせている御土居跡の帯(全年共通)に合わせるため、残存御土居の着色がずれています。


現在:平成17年(2005年)

御土居は寺町通りの東側、現在の河原町通の西側を通っていました。
三条は御土居築造当時、既に口が開けられていたことが確実なところです。一方、四条は豊臣期には出入口がなかったということがわかっています。
三条のあたりの御土居は比較的早い段階になくなっています。それゆえ、この三条につながる東海道・中山道の京都への出入口として七口の一つに充てられるのは御土居の口で象徴される「三条口」よりも、古くからの出入口と言われる鴨川東岸の「粟田口」として言われる野ではないかと私は考えています。
二条から高瀬川が始まっています。高瀬川は1614年に角倉了以・与一親子によって開削されました。私は、この高瀬川水運が御土居と鴨川西岸の間に繁栄と市街化をもたらしたと考えています。
史跡に指定されている部分はありません。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



明治22年(1889年)

少し図面がよれているせいもありますが、既に御土居を確認することができなくなっています。
高瀬川に着色しましたが、現在残っている一の舟入以外にも、いくつか舟入が確認できます。舟入とは舟で運んできた資材の積み下ろしをするために高瀬川に垂直に設けられた水路です。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



明治42年(1909年)

明治22年の地図同様既に御土居を確認することはできません。
京都電気鉄道による路面電車軌道を木屋町通、寺町通などに確認することができます。 琵琶湖疏水(鴨川運河)が開通しています。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



大正11年(1922年)

図面がよれていて少し見にくくなっていますが、やはり御土居を確認することができません。
鴨川と琵琶湖疏水の間に京阪電車を確認することができます。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



昭和6年(1931年)

市電が河原町通を通っています。
また、高瀬川の舟入が現在残っている一の舟入以外、なくなっています。高瀬川の水運は1920年に終了しました。

下のボタンで、左図の通り名等の表示・非表示と御土居跡等の表示・非表示を切り替えることができます。



手動操作

以下のボタンを使って、地形図の年、通り名等の表示・非表示、御土居跡の表示・非表示を切り替えることができます。











地図の出典


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